復讐の炎は地獄のように心に燃えて

『バートラム・ホテルにて』アガサ・クリスティー ミス・マープル原作

主題歌 『魔笛』モーツァルト

奈落の華

序章 慰霊碑

兵庫県芦屋市、月見ヶ丘。

かつて銀嶺大劇場が建っていた跡地は、今はタワーマンションの駐車場になっている。その片隅に、膝ほどの高さの石碑がひっそりと建っている。管理人ですらその存在を気にかけない、苔むした小さな石。

碑文にはこう刻まれている。

「めになみだ こよいは月のなきものを 香ふはなが うすあかりせり」

 

毎年四月一日に、石碑の前に一輪の白い花が供えられる。誰が置くのかは、誰も知らない。

第一章 銀嶺の秩序

銀嶺歌劇団は、関西の私鉄・六甲急行電鉄が一九二〇年に創設した女性だけの歌劇団である。沿線の集客装置として生まれたこの歌劇団は、一世紀を超えてなお「夢の王国」として君臨し続けていた。

二〇〇六年四月。銀嶺歌劇団月組に、一人の絶対的な支配者がいた。

阿久津真矢。月組トップスター。男役。

入団十年目にしてトップの座に就いた阿久津は、銀嶺歌劇団という閉じた王国において、王そのものであった。長身で威厳に満ちた佇まい、正統派の所作、格調高い台詞回し——舞台の上の阿久津は、まぎれもなく一流の芸術家であった。

しかし舞台を降りた阿久津は、別の顔を持っていた。

銀嶺歌劇団には「期」と呼ばれる入団年次の序列がある。上級生の前では下級生は絶対に逆らえない。食堂での席順、廊下でのすれ違い方、楽屋の割り当て、挨拶の言葉遣い——日常のすべてが序列によって規定される。阿久津はその序列の頂点に立ち、自らの権威を「指導」という名の暴力で維持していた。

阿久津の「指導」には段階があった。

まず、標的を孤立させる。標的と親しい者に個別に「忠告」し、近づく者に楽屋で無言の視線を向ける。次に、身体を壊す。同じ振付を百回繰り返させ、足の爪が剥がれても止めない。「声が出ていない」と言って腹部を押す。力は日ごとに強くなる。そして精神を折る。良い評価を受けた翌日に、全員の前で「基本がなっていない」と叱責する。称賛の直後に屈辱を与えることで、成功体験そのものを毒に変える。

阿久津はこれを「教育」と呼んだ。心の底からそう信じていた。自分がそうやって育てられたように、下の者も同じ道を歩むべきだと。

その「教育」の最も苛烈な対象となったのが、二〇〇六年に入団した第八十九期生の一人——奄美裕季であった。

第二章 二人のトップスター

奄美裕季は、銀嶺歌劇団が生んだ「異端」であった。

入団時の成績は五十一人中十七位と平凡だったが、舞台に立った瞬間に放つ輝きが尋常ではなかった。中性的な美貌、男役の色気と娘役の繊細さを同時にまとう存在感。通常なら五年以上かかるトップスター昇格を、わずか三年で果たした。二〇〇九年、奄美裕季は月組の「次席トップスター」に就任する。異例中の異例の人事だった。

六甲急行電鉄の文化事業部長・桐生は、演出部にこう漏らしたとされる。「奄美は客を呼べる。阿久津の時代はもう終わる」

しかし、歌劇団の中での序列は揺るがなかった。

奄美は阿久津の三期下。トップスターであっても、阿久津の前では後輩として振る舞わなければならない。毎朝、楽屋の入口で深々と頭を下げる。「おはようございます、阿久津さん」。阿久津は小さく頷くだけで、決して「おはよう」とは返さない。

観客動員数では奄美が阿久津を上回っていた。メディアの注目度でも圧倒していた。しかし歌劇団の中では、それは何の意味も持たなかった。

才能は序列を超えない。それが銀嶺の掟だった。

阿久津の「指導」は、奄美が次席トップに昇格した瞬間から、質的に変貌した。

合同稽古中、阿久津が「見本を見せる」と言って奄美と組んだ際、リフトの体勢から故意に手を滑らせ、奄美を舞台の端から落とした。奄美は背中を強打し、一週間動けなくなった。阿久津は「手が汗で滑った」と説明し、誰もそれを疑問視しなかった。

舞台稽古中、阿久津の提案で演出が変更され、奄美が大道具の直下で激しく動く段取りになった。照明バトンが落下し、数センチの差で奄美の頭を掠めた。「照明部の不注意」として処理された。

奄美は孤立していた。同期の団員は阿久津を恐れ、奄美との接触を避けた。

ただ一人を除いて。

藤波すみれ。第八十九期生、娘役。奄美と同期であり、音楽学校からの親友だった。控えめな性格で序列的には目立たない存在だったが、歌唱力には定評があった。藤波だけが阿久津の圧力に屈せず、奄美の傍にいた。

「ちーちゃん、明日も頑張ろうね」

辛い稽古の後、藤波は必ずそう言った。その言葉が、奄美を辛うじて支えていた。

第三章 四月一日、午後六時二十五分

二〇〇九年四月。月組公演「星屑のワルツ」の公演期間中に、事件は起きた。

主演娘役の水無瀬あおいが「風邪による高熱」で急遽降板した。代役に指名されたのは、藤波すみれだった。

「星屑のワルツ」のクライマックス——恋人同士がトランプの王の怒りに触れ、殺人光線を浴びながら迫りで奈落に沈んでゆく場面。男役の松風ちはやと、代役の藤波すみれが抱き合ったまま迫りに乗る。

問題は衣装だった。

水無瀬あおい用に仕立てられたドレスには、裾を広げるため腰・太腿・膝の三箇所にスチールベルトが環状に縫い込まれていた。幅二センチ、厚さ一ミリの鋼帯。直径六十センチ、七十センチ、一メートルの輪。重量八キログラム。

衣装部の主任・篠田が懸念を示した。「このドレスで迫りに乗るのは危険です。裾がシャフトに届きかねません」

しかし演出家の志摩は言った。「衣装を変えたら演出が成立しない。注意して乗ればいい」

三月三十一日の昼夜の部、四月一日の昼の部。問題なく終了した。

四月一日、夜の部、午後六時二十五分。

三千二百人の観客の前で、キングが叫ぶ。「ボタンじゃ!」

松風ちはや——身体にぴったりついたタイツ姿の男役と、藤波すみれ——裾が直径三メートルに広がるドレスの娘役が、抱き合いながら一番迫りに乗る。縦一メートル、横三メートル。すぐ脇に、大正時代の設計のまま残る剥き出しのスクリューシャフト。

降下が始まる。

客席から二人の姿が見えなくなった瞬間——松風ちはやは藤波すみれの身体を突き離した。

そして、振り返らずにこう言った。

「オーキニ」

松風は迫りが下がりきるのを待たず、奈落の床に飛び降りた。早替わり場に向かって走り出す。三歩走ったところで、背後から——

「ヤメテー!」

絶叫。バリバリという音。何かが飛び散る音。

振り返った松風の目に映ったのは、蝋細工の人形のように無表情な藤波すみれの顔と、赤い衣装がスクリューシャフトに巻きついて回転している光景だった。

ドレスの裾がシャフトに巻き込まれ、鉄製の支柱との間に足を挟まれたまま身体が引き込まれ、腰のスチールベルトが胴を締めつけ、身体が上下に切断された。即死だった。

松風の背中には、血しぶきがかかっていた。

藤波すみれ。享年二十二歳。

公演はその時点で中止になった。しかし翌日、銀嶺歌劇団は公演を再開した。チケットの払い戻しは莫大な損失になる。六甲急行電鉄の桐生専務の判断だった。

歌劇団は緘口令を敷いた。松風ちはやには「しばらく身を隠せ」と指示が出た。労働基準監督署は労災と認定し、迫りのシャフトに安全カバーの設置を命令した。警察は業務上過失致死の線で捜査したが、報道は急速に消え、事件は銀嶺歌劇団の歴史から抹消された。

奄美裕季は直感した。あの迫りに乗るはずだったのは、本来、自分だったのではないかと。水無瀬の「急病」、代役の指名——すべてが自分を迫りの上に立たせるための布石だったとしたら。直前の配役変更で藤波が代役に入り、藤波が身代わりになって死んだのではないか。

 

二〇一〇年、奄美裕季は銀嶺歌劇団を退団した。

第四章 第二の死

二〇一二年十月。奄美が退団して二年後。

月組の新人娘役・白鳥あかり、十九歳が、銀嶺大劇場の大階段セットの最上段——高さ八メートルから転落し、死亡した。深夜の非公式な稽古中の出来事だった。

銀嶺歌劇団と六甲急行電鉄は共同で記者会見を開き、こう発表した。

「白鳥あかりさんは、先輩団員との人間関係に悩み、精神的に追い詰められておりました。団としての指導体制に不十分な点があったことを深くお詫び申し上げます」

虐め苦による自殺。それが公式見解だった。

遺族には弔慰金が支払われ、六急の顧問弁護士が交渉を一手に引き受けた。新聞は「若い団員の悲劇」として数日間報道したが、やがて沈静化した。

銀嶺歌劇団の歴史から、二人目の名前が消された。

しかし、その夜、稽古場で何が起きていたのか——知る者はごくわずかしかいない。

白鳥あかりは第九十二期生。バレエの素養があり、踊りに天性のものがあった。入団成績は四十八人中三位。「次世代の娘役トップ候補」と噂された。

その噂ゆえに、阿久津真矢の「関心」の対象となった。

奄美裕季が去った後、阿久津は新たな標的を必要としていた。才能のある若い団員を支配下に置くこと——それは阿久津にとって自らの存在を確認する行為だった。白鳥あかりには、藤波すみれのような「守ってくれる同期」がいなかった。白鳥は完全に孤立していた。

十月の夜。上級生による非公式の「特別稽古」。大階段のセットが組まれたままの舞台。照明は作業灯のみ。

阿久津は白鳥に言った。

「さあ、おまえ。今すぐその一番高いところに立ってごらん」

白鳥は震えながら階段を上った。安全ワイヤーは張られていない。

最上段に立った白鳥に、阿久津が下から声を掛けた。

「その場所で軽やかにくるくる舞うように踊ってごらんなさい。それが、娘役のトップスターの証明よ」

白鳥は泣いていた。しかし「できません」と言うことは許されない。それは阿久津への反逆であり、序列の否定であり、銀嶺歌劇団に存在する資格を自ら放棄することを意味する。

白鳥は踊り始めた。回転。もう一回転。

三回転目で、足を踏み外した。

八メートル下の舞台床に叩きつけられ、即死した。

白鳥は自分の意志で階段を上った。自分の意志で踊り始めた。誰も「飛び降りろ」とは言っていない。誰も「押して」いない。立ち会っていた上級生は全員、「白鳥さんは突然飛び降りた」と証言した。

「虐めがありました」は、「殺人を『虐め』と呼び変えました」の同義語である。

白鳥あかりの転落死の報を聞いた奄美裕季は、自宅で新聞を読みながら、静かにこう呟いた。

「きっと、そうよ」

第五章 血の伯爵夫人

二〇一四年。奄美裕季は、テレビドラマ「血の伯爵夫人」の主演に抜擢された。

ドラマは二つの時間軸で構成されていた。現代パートでは、名門ジュニアダンススクールの主任教師・阿久津真矢が、才能ある少女たちを「指導」の名のもとに追い詰めていく。過去パートでは、十六世紀ハンガリーの城で、伯爵夫人が少女たちを地下の奈落に集め、残酷な儀式を行う。

奄美が演じたのは、現代の鬼教師・阿久津真矢だった。

「阿久津真矢」。それは架空の人物——ということになっている。しかしその行動、言葉遣い、手口のすべてが、実在の阿久津真矢そのものだった。

奄美は撮影中、一度も「役作り」をしなかった。

監督が「もっと冷酷に」と指示すると、奄美はこう答えた。「冷酷ではないんです、この人は。自分が正しいと心の底から信じているんです。だから怖いんです」

少女を追い詰める場面で、奄美の目に浮かんだのは、かつて自分を見下ろしていた阿久津の目だった。怒りでも悪意でもない。「お前のためを思って言っている」という、純粋な確信の目。

共演の子役は撮影中の奄美を本気で怖がった。ある子は泣き出し、「あの人、本物の先生みたい」と言った。奄美は笑って「大丈夫よ、お芝居だから」と抱きしめたが、その夜、ホテルの部屋で一人、嘔吐した。

奄美が阿久津真矢を完璧に演じられたのは、演技力が卓越していたからではない。自分の身体に刻まれた恐怖と痛みと屈辱の記憶を、そのまま画面の上に再現しただけだからだ。被害者だけが知っている加害者の呼吸——いつ機嫌が変わるか、沈黙が何秒続いたら危険か——その身体知覚が、奄美の演技を現実そのものにした。

ドラマの第八話に、こんな場面がある。

暗い体育館。天井近くのキャットウォーク。阿久津真矢は最も才能のある少女を呼び出し、こう言う。

「さあ、上がってごらんなさい。あそこで踊れたら、あなたを主役にしてあげる」

少女は泣きながら梯子を上る。キャットウォークの上で踊る。足が震えている。幅は三十センチもない。

下から阿久津が見上げている。その顔は——微笑んでいる。

そして場面の終わり、阿久津は少女に向かって穏やかにこう言う。

「おおきに」

視聴者はこれをフィクションとして見た。しかし奄美は知っている。これは白鳥あかりの最後の夜の再現であり、「おおきに」は藤波すみれが最後に聞いた言葉の再現であることを。

奄美裕季はこの役でアカデミー主演女優賞を受賞した。

授賞式のスピーチで、奄美はトロフィーを掲げてこう語った。

「この役を演じることは、私にとって芝居ではありませんでした。これ以上は言えません。ただ一つだけ。この賞を、銀嶺の舞台で夢を追い、奈落に沈んでいった一人の友に捧げます。すみちゃん。遅くなって、ごめんね」

会場は感動の拍手に包まれた。

しかし、テレビの前でこのスピーチを聞いていた銀嶺歌劇団の関係者たちは凍りついた。「奈落に沈んでいった」——それは比喩ではない。藤波すみれは文字通り、奈落で死んだのだから。

このスピーチは三つのメッセージを同時に放っていた。

世間へ——美しい追悼。銀嶺歌劇団へ——私は忘れていない。阿久津真矢へ——あなたがやったことを、私は知っている。

第六章 「オーキニ」の深淵

二〇二四年。事件から十五年。

松風ちはやは銀嶺歌劇団を退団した後、京都で着物の仕立て屋を営んでいた。かつての華やかさの面影はない。

松風は自伝的なエッセイ集「月見ヶ丘の日々」を出版した。その中に、あの事故の回想録が収められていた。

「セリが沈みはじめ、お客様から姿が見えなくなると、私は次の場面の早替わりが迫っていたため、すみちゃんの身体をふりほどき、『オーキニ』と言いました。それはいつもの声掛けでした。背を向けてセリから飛び降り、三歩ほど走ったところで、背後から悲鳴が聞こえました」

この手記を精読した一人のジャーナリストがいた。

梶原冬馬、四十歳。元・六甲急行電鉄社員のフリーライター。銀嶺歌劇団の内部事情に詳しく、藤波すみれの兄と親交があった。

梶原は一つの矛盾に気づいた。

松風の証言では、「オーキニ」から絶叫まで約三秒。しかし当時の実況見分では、迫りが完全に下がるまで十三秒、衣装がシャフトに巻き込まれて胴体が切断されるまで六秒から七秒かかることが判明していた。松風の「三歩走って振り返ったら一秒」では、時間が合わない。

迫りの速度が通常より速かったとすれば、辻褄が合う。

梶原は関係者への取材を開始した。そして、事件当日の操作盤の速度ダイヤルが最大位置にあったという警察の記録を入手する。前日の公演では正常な速度だった。前日と当日の間に、誰かがダイヤルを最大に変えたことになる。

当日の迫り番は新人の戸倉だった。ベテランの黒田整備長ではなく、なぜ経験の浅い戸倉が操作を任されたのか。シフトの変更を指示したのは黒田本人だった。

取材を続ける中で、梶原は「オーキニ」の三つの解釈に辿り着く。

第一の解釈。松風本人が主張する「お疲れさま」。いつもの挨拶。しかし複数の元団員が証言する——松風は普段、楽屋では標準語で話していた。関西弁が出るのは、よほど気が緩んだ時か、意図的に使う時だけだったと。

第二の解釈。訣別の言葉。「おおきに、ほな、さいなら」。松風が藤波に何が起こるか知っていたなら、「オーキニ」は永遠の別れの言葉だったことになる。

第三の解釈。そして梶原が最も恐れた解釈——「オーキニ」は松風自身への号令だったのではないか。「今だ、離れろ」と自分に言い聞かせるための。口にすることで身体を突き離す「理由」を自分の中に作り、後から「お疲れさまと言っただけ」と自分に言い訳できるように設計された、完璧なアリバイとしての一言。

そしてその「オーキニ」には、三つの宛先があった。

藤波すみれへ——「お疲れさま」。自分自身へ——「今だ」。そして不在の阿久津真矢へ——「ご命令通りに」。

松風は、人を殺す瞬間にすら、阿久津への敬語を使ったのだ。


第七章 松風ちはやの涙

二〇二五年。梶原はついに松風ちはやと対面した。京都の古い町家。着物を畳む手が震えている。

「あの『オーキニ』は、誰に向かって言ったのですか」

「……すみちゃんに、です。いつもそう言うてました」

「では、なぜその日に限って、言い終わる前に背を向けたのですか。なぜ振り返らなかったのですか」

「……早替わりが、あったから」

「迫りの速度が通常より速くなっていたとすれば、辻褄が合います。あなたはそれを知っていたのではありませんか」

松風ちはやは崩れるように泣き始めた。

長い沈黙の後、松風は語り始めた。

水無瀬あおいの「急病」は仮病だった。阿久津の指示だった。黒田整備長がシフトを変更し、新人の戸倉を配置したのも阿久津の意向だった。前夜に速度ダイヤルを最大に回したのは黒田だった。そして松風は——阿久津の「空気」を読んで従った。

阿久津真矢は一言も「殺せ」とは言っていなかった。

しかし、銀嶺歌劇団の序列の中では、阿久津が「望む」だけで十分だった。水無瀬は空気を読んで動き、松風は視線を感じて従い、黒田は六急の意向を察して手配した。

「あの人は……何も言わへんかった。でも、みんな分かっとった。何をせなあかんか」

松風は泣きながら続けた。

「あの日、迫りに乗るはずだったんは、本当は奄美さんやった。でも直前に配役が変わって……すみちゃんが代わりに入ってしもうた」

「つまり——本来の標的は奄美さんだったと?」

「……そうやと、思います。阿久津さんが恐れとったんは、奄美さんやった。でもすみちゃんが——すみちゃんが死んでしもうた」

梶原は訊いた。

「あの瞬間、あなたは藤波さんの身体を『ふりほどいた』のですか。それとも——『突き離した』のですか」

松風は長い時間、自分の手を見つめていた。

「……手を、放したんです。手を、放してしまったんです」

同じ〇・五秒の出来事。語り手によって動詞が変わる。松風本人は「ふりほどいた」と手記に書いた。舞台袖の目撃者は「離れた」と言った。奈落にいた裏方は「押した」と言った。梶原は「突き離した」と推理した。

そして松風自身が最後に選んだ言葉は——「手を、放した」。

 

能動と受動の間。自己欺瞞と罪の意識が溶け合った、最も正直な動詞だった。

第八章 怪物と鏡

二〇二六年、二月。

奄美裕季は都内のマンションの一室で、新作映画の脚本を読んでいた。

タイトルは「銀嶺——奈落の華」。銀嶺歌劇団を舞台にした映画。華やかな舞台の裏側で行われる組織的な虐待と隠蔽。若い団員が「事故」や「自殺」で命を落とす。しかし誰も声を上げない。序列が、伝統が、沈黙を強制する。

奄美はこの映画で、再び「阿久津真矢」を演じる。

「血の伯爵夫人」ではフィクションの衣を借りた。しかし今度は違う。梶原冬馬の取材記事が雑誌に掲載され、松風ちはやの証言が世に出た。元団員たちが一人ずつ沈黙を破り始めた。もはやフィクションの殻は必要ない。

奄美は脚本のある場面で手を止めた。

クライマックス。阿久津真矢が、白鳥あかりに大階段の上で踊ることを命じる場面。台本にはこう書かれている。

「さあ、おまえ。今すぐその一番高いところに立ってごらん。その場所で軽やかにくるくる舞うように踊ってごらんなさい。それが、娘役のトップスターの証明よ」

奄美はその台詞を声に出して読んだ。自分の口から出た声は、完璧に阿久津真矢の声だった。抑制された、穏やかな、確信に満ちた声。

奄美はドレッサーの鏡を見た。そこに映っているのは誰だ。

奄美裕季か。阿久津真矢か。

奄美の復讐計画は、冷徹で、段階的で、長期的だった。相手を孤立させ、じわじわと追い詰め、逃げ場をなくしてから仕留める。それは阿久津真矢が人を追い詰めた手口と同じ構造だった。

奄美はそれに気づいている。

「私はあの女を告発しようとしているのか。それとも、あの女に——なろうとしているのか」

鏡の中の自分を見つめながら、奄美は呟く。

「違う。私とあの女には、一つだけ違いがある。私は自分が怪物になりかけていることを知っている。あの女は、自分が怪物だと一度も思ったことがない。その差は——深淵と同じくらい深いわ」

しかし本当にそうだろうか。被害者が加害者の方法論を身につけた時、被害者はまだ被害者でいられるのか。

奄美は立ち上がり、窓の外を見た。東京の夜景が広がっている。

「銀嶺大劇場が、ホラー映画の舞台にふさわしいことを、世界中に知らしめてやる」

奄美は笑った。喉の奥から湧き上がる、低く、長い笑い。

魔女のような笑い声だった。

「阿久津真矢こそが、ホラー映画の主演女優としてアカデミー賞を受賞するべきなのよ。あの女の人生そのものが、最も恐ろしいホラー映画なんだから。いつか必ず、あの女の凶暴性を、社会の白日の下に暴き立ててやる」

その笑い声の底には、藤波すみれの「ヤメテー」という絶叫と、白鳥あかりが八メートルの闇に消えていった時の沈黙が、沈殿していた。

終章 正しい名前

ホラー映画とは何か。

怪物が出てくるから怖いのではない。怪物が出てきているのに、周りの人間が誰も逃げないから怖いのだ。

銀嶺歌劇団にはそのすべてが揃っていた。閉鎖された空間。逃げられない人々。繰り返される暴力。隠蔽される死。そして——怪物を怪物と呼ばない、全員の沈黙。

「さあ、上がってごらんなさい」と言うことは、「落ちろ」と言うことと同じである。

「オーキニ」と言うことは、「死ね」と言うことと同じである。

しかし、その二つの間には、法律も警察も報道も届かない深い溝がある。その溝を「虐め」と呼ぶ者がいる。「伝統」と呼ぶ者がいる。「指導」と呼ぶ者がいる。

奄美裕季は、その溝を正しい名前で呼んだ。

——殺人。

奄美が聖女なのか魔女なのか、それはまだ分からない。復讐の炎と正義の光が一つの身体の中で燃えている。どちらが勝つかは、この物語の外にある。

ただ一つ、確かなことがある。

毎年四月一日、芦屋市月見ヶ丘の駐車場の片隅に、白い花が一輪、供えられる。

誰が置くのかは、誰も知らない。

 

本作は完全なフィクションであり、実在の団体・人物・事件とは一切関係ありません。

『奈落の華』のエンディング曲