『介護と社会』二〇二六年六月号/特集
動きを止めるな
――急増する要介護・認知症、そして女性の自殺。ひとつの研究所が示す「たったひとつの原因」
その研究所は、東京の郊外にある。看板はない。
所長は、しずかな声で話す人だった。日本人がなぜ足腰を弱らせ、ベッドから起き上がれなくなるのか。なぜ徘徊し、ありもしない話を語るのか。そしてなぜ、これほど自殺するのか。それらはすべて、ひとつの原因に行きつくのだと所長は言った。
「日本語を、丸暗記するからです」
意味がつかめず、私は黙っていた。所長は続けた。日本人は、言葉を意味としてではなく、音のかたまりとして覚える。丸暗記は、それ自体がひとつの行動である。だから社会的に意味のある行動を止めると、暗記が止まり、記憶が止まり、やがて身体までもが、駅に着いた電車のように止まる――。
「トイレに行けない。風呂に入れない。起き上がれない。あれは故障ではありません。停止です」
自殺もまた、同じだという。言葉を壊し、てきとうに作り変えるから、言葉と行動が一致しなくなる。そこに強迫が生まれる。笑い声を立てながら話す人、ひとり言のように一方的に話す人――そういう人から、先に止まっていくのです、と所長は微笑んだ。
私は手元のノートに、所長の言葉をそのまま書き写した。
帰りに、ひとつの施設へ寄った。届け出のない、古い一軒家だった。畳の上に布団が八つ並び、奥の窓ぎわに、ひとりの老女が座っていた。外を向いて、口を小さく動かしている。きのうの献立を、くりかえし唱えているのだと聞いた。
付き添いの娘さんが、私に頭を下げた。母は半年前まで歩けたんです、と言った。声が、うまく出ないようだった。
所長の説明がよみがえった。会話のとき、相手の顔を、目を、おしまいまで見て聞くこと。復唱したことを、必ず行動にあらわすこと。母親がそれを怠れば、子は丸暗記もできなくなり、放置された記憶だけが残る――。
「お母さまは」と私は娘さんに尋ねた。「あなたが赤ちゃんのころ、ちゃんと目を見てくれましたか」
娘さんは、私の顔を見た。
私は、ノートを見ていた。
帰りの電車で、私はきれいに記事をまとめた。原因は、丸暗記。対策は、行動を止めないこと。相手の目を、おしまいまで見ること。笑いながら話さないこと。ひとり言のように、一方的に話さないこと。
書きながら、私はふと、自分が今日、誰の目も見ていないことに気づいた。所長の言葉を、ただ書き写しただけだった。あの娘さんの声も、おしまいまでは聞いていない。
――けれど、それは私の専門ではない。
私はもう一度、所長の言葉を頭のなかで復唱した。正しく、ひとことも違えずに。そして記事の最後に、こう書いた。
日本人の要介護も、認知症も、自殺も、私たちのひとりひとりが、周辺症状として、毎日つくっている。その到達点なのである、と。
書き終えて、私は満足した。
ペンを持つ私の指は、もう、止まっていた。