写し

一 清書

 わたしの仕事は、人の話を活字にすることだ。

 熊野クマ江さんが語る。わたしが書く。それだけのことだが、語られた言葉は、そのままでは活字にならない。口から出たものには、つかえや、言い直しや、湿り気がある。それを乾かして、整えて、縦の罫に沿って収めていく。画面の中で、文字はきれいに右から左へ流れていく。送り仮名がそろい、句点が打たれ、見出しが立つ。仕上がったものを読み返すと、もう誰の声だったのか分からないほど、清潔だ。

 わたしはこの仕事を十年やっている。

 

二 レジ

 その男は、緊張しやすいのだという。

 ファイルの中で、彼は自分のことを几帳面に書いていた。緊張すると一日中憂うつになる。手の平と脇の下に汗が出る。手の平は一日中じっとりと湿っている、と。わたしはその一文を、句読点を整えながら打ち込んだ。じっとりと、というところで、変換が一度もたついた。

 彼がいちばん怖いのは、店のレジだという。

 会計をするとき、レジに女性がいると、急に憂うつになって汗が出る。つり銭を受け取るとき、手の湿りに気づかれたらどうしよう、と思う。気持ち悪いと思われたら。変人だと思われたら。そう書いていた。そして、つり銭を渡す女性の指先が、彼の手の平に触れる。その一瞬で、彼の中の何かが崩れる、と。

 わたしは打つ手を止めた。

 

 彼の文章は正確だった。怖さの順序が、きちんと積み上げてあった。これは、自分の崩れ方をよく見ている人の書き方だ。観察できる人だ。わたしは、自分の手の平を、膝の上で裏返してみた。乾いていた。当たり前だ。わたしは写す側で、写される側ではない。そう思って、また打ち始めた。

 熊野さんのカウンセリング・ゼミの教材は、わたしの手を通って世に出る。脳の働き方の図解も、症例の解説も、わたしが打つ。打ち終えた原稿は、印刷され、製本され、受講者の机に届く。誰も、これを書いたのがわたしだとは知らない。署名は「熊野クマ江」だ。わたしは写すだけの者で、写す者には名前がいらない。

 

 今朝も、新しい事例ファイルが届いていた。三十二歳、男性、アルバイト。表紙の文字を見て、わたしは画面を開いた。

 

三 熊野の声

 熊野さんの解説が、そこに被さってくる。

 わたしは録音を再生する。熊野さんの声は、よどみがない。男はこう考えている、と熊野さんは言う。手の平に汗をかく、女に気持ち悪いと思われる、まちがいなく変人と思われた、と。だから精神も身体も緊張している。これは「右脳・虚像」が勝手につくり上げたイメージなのだ、と。

 わたしは打つ。右脳はアナログ脳だ。経験や、好き嫌いや、不安が、形のはっきりしないイメージになって表象される。それを扁桃核が不安に変える。原因は副交感神経にある。脳で言葉をつくるのはブローカー言語野で、そこは交感神経と副交感神経の二つに分かれていて、日本語は動詞文だから、日本人は副交感神経だけで言葉をしゃべる――。

 打ちながら、わたしは意味を考えない。意味を考えると手が遅くなる。声を、字に移す。それだけだ。

 

 やがて、母型論のくだりが来た。

日本人の脳の働き方は、女性がになう、と熊野さんは言う。母親が、娘に、作り話を、デタラメ解釈を、しゃべる。もちろん男児にもしゃべる。「自分はこう思う」という言い方は、その娘が、母から受け取った言葉の到達点なのだ、と。

 わたしは、その一文を打ち終えて、画面を見た。

 熊野さんの声は、人を分けることを、少しも疑っていなかった。この男はこの型、あの女はあの型。型に入れると、人は静かになる。録音の中で、熊野さんは終始おだやかだった。おだやかに、一人ひとりを、容れ物の中へ移し替えていく。わたしは、その声を、活字にしている。乾いた、清潔な、署名のない活字に。

 

四 詠子

 夕方、家に帰ると、娘がいた。

 詠子は十四になる。台所の椅子に座って、スマホの画面を見ていた。親指が、下から上へ、同じ動きを繰り返している。画面の光が、娘の顔の下半分を青く照らしていた。声をかけても、すぐには顔を上げなかった。

 

 ごはんは、と聞くと、いらない、と言う。

わたしは何か言おうとして、口を開いた。そして、自分の口から出てきた言葉に、途中で気づいた。あなたがそう思うのは、と、わたしは言っていた。あなたの右脳が、勝手にイメージをつくっているからで、それを扁桃核が――。

 言いかけて、止めた。

 詠子は、画面から目を上げて、わたしを見た。何を言われたのか分からない、という顔ではなかった。むしろ、聞き慣れている、という顔だった。お母さんはいつもそう言う、という顔だった。わたしは、いつ、この子に、こんな言葉でしゃべるようになったのだろう。職場の言葉が、いつ、この台所の敷居をまたいだのだろう。

 

 詠子は、また画面に目を落とした。親指が、また動き始めた。

 

五 写し

 その夜、わたしは原稿の続きを打った。

 熊野さんの解説の、最後のくだりだった。ワープロソフトは、日本人の病気を完成させる、と熊野さんは言う。画面の活字を、にせの社会性として、ネットにデタラメを発信しつづける者。あなたはどの型か、と熊野さんは問う。

 わたしは打ちながら、自分の手の平が、湿っているのに気づいた。

 いつからだろう。キーの表面が、指の腹に貼りつく。わたしは手を膝で拭いた。乾かなかった。画面の中で、文字は変わらず、右から左へ、清潔に流れていた。誰の声でもない活字。わたしが、声を、字に移したもの。移しているうちに、どこからが熊野さんの言葉で、どこからがわたしの言葉なのか、分からなくなっていた。あの男の、じっとりと湿った手の平と、わたしの手の平の、区別もつかなくなっていた。

 あなたはどの型か。

 その問いを打ち終えて、わたしは台所のほうを見た。

 

 詠子の部屋から、まだ画面の光が漏れていた。戸の隙間から、娘の声が、低く、聞こえてくる。何かを読み上げている。いや、写している。聞き慣れた言い回しだった。あなたがそう思うのは、あなたの右脳が、と、娘は、わたしの声で、つぶやいていた。画面の光は、青く、温かそうに、戸の隙間からこぼれていた。

 わたしは、続きを打たなければならなかった。