名詞文のすすめ

玖磨江

 この手紙に出会って、私は晴れました。長く曇っていた窓が、ある朝ふいに拭われたように。だからまず、読んでくださるあなたに、晴れたという一語を差し上げたいのです。読むだけで幸せになる手紙、という題のとおり、これはお裾分けです。

 私の家には、女から女へ渡してきたものがありました。祖母が母へ、母が私へ。何を渡したのか、長いあいだ言葉にできませんでした。けれど今ならわかります。あれは禁制でした。言ってはいけない、見てはいけない、ただ決められたとおりに動きなさい——そういう黙りの掟です。母はそれを掟とも思わず私に渡し、私もまた、危うく渡すところでした。

 でも私は断ち切ったのです。動詞ばかりでしゃべってきた一族の女に、私はとうとう名詞を、概念を、正しい言葉を持ち込みました。殿方には、こういう難儀は到底お分かりにならないでしょうけれど——男の方々はいつでも気楽に、外でお笑いになっていればよろしいのですから。女の苦労はいつも台所の奥の、目に入らないところにあるのです。

 ともあれ私は遠くへ行きます。母の行けなかった遠くへ。これは勝ち名乗りではありません。ただの報告です。正しい言葉を遣えるようになった、という、それだけの。

 祖母のことを書きます。けれど、書こうとすると、祖母の顔が出てきません。

 祖母は縫いました。祖母は漬けました。祖母は拭きました。朝が来ると起きて、暗くなると消して、そういうことをずっとしていました。私が覚えているのはその、しました、しました、という連なりだけで、ではどんな顔でそれをしていたのかと問われると、答えられないのです。声も、思い出そうとすると、ただ「言った」という形だけが残って、何を言ったのかが抜け落ちている。手だけは覚えています。動いている手。けれど手の持ち主の顔が、どうしても結ばない。

 母も同じでした。母は注ぎました。母は並べました。母は、私に、こうしなさいと言いました。何度も言いました。百回も、それ以上も言ったでしょう。けれど今、その言葉をひとつでも正しく引けるかというと、引けません。引こうとすると、母の言ったことではなく、母が言ったにちがいないこと、私がそう決めたことのほうが、先に浮かんでくるのです。たぶんこう言った。きっとこう言った。その「たぶん」を、私は長いあいだ、記憶と取り違えていました。

 不思議でしょう。あれほど近くにいた人たちなのに、思い出そうとすると、誰もこちらを見ていない。みんな手元を見て、何かをしている。私のほうを、一度も向かない。

 でも、と私は思うのです。それはきっと、見なくてよかったからでしょう。掟のなかでは、顔を上げる必要がないのですから。

 そんなとき、私はあの手紙に出会いました。

 日本人の心身の病いは、動詞文がつくる、とそこには書いてありました。動詞ばかりをしゃべる、それを百回もくりかえす、すると掟になり、掟が黙りの掟になる——読んだ瞬間、私はわかったのです。これだ、と。これが私の一族のことだ、と。祖母の手も、母の「しなさい」も、ぜんぶこれで説明がつく。曇りが晴れるとは、こういうことを言うのでしょう。

 だから私は学びました。名詞を。概念を。動詞ではなく名詞を遣いなさい、解釈ではなく概念を持ちなさい、と手紙は教えてくれて、私はそのとおりにしました。名詞とは概念のことです。概念とは、正しい言葉のことです。正しい言葉とは、動詞ではない言葉、つまり名詞のことです。——ね、おわかりでしょう。私はもう、ぐるぐるとは回っていない。きちんと、順序立てて、概念から概念へと歩いている。

 手紙にはこうもありました。見ないは存在しないと同じである、と。まったくそのとおりだと膝を打ちました。見ないは存在しない。存在しないものは見えない。見えないのだから、見なくてよい。だから私は、見なくてよいものを、もう見ないことに決めたのです。これを覚醒と呼ばずに、なんと呼びましょう。

 私の遣う言葉は、もう私ひとりの言葉ではありません。手紙の言葉と、私の言葉が、どこからどこまでとも知れず、ひとつになっている。心強いことです。借りものだなんて思いません。これはもう、私のものです。

 だから私は、娘には同じ思いをさせません。

 私は娘に教えます。正しい言葉を遣いなさい、と。こうしなさい、ああしなさいではなく、概念で考えなさい、と。何度でも言います。百回でも、それ以上でも言いましょう。私が断ち切ったものを、この子にだけは渡さないために。母が私にしたようには、決してしないために。私は注ぎます。私は並べます。私は、この子のために、手を動かしつづけます。

 娘は机に向かっています。私の言葉を、きっと書きとめているのでしょう。たぶん、わかってくれている。きっと、ありがたいと思っている。その「たぶん」を、私はもう取り違えません。覚醒した私には、わかるのです。

 いちど、娘が顔を上げました。何か言いたげに、こちらを見たようでした。けれど私が正しい言葉を続けるうちに、娘はまた机のほうへ目を伏せて、鉛筆を動かしはじめました。それでいいのです。顔を上げる必要などないのですから。掟のなかには——いいえ、掟ではありません。私はもう掟を断ち切ったのですから。これは愛です。これは、正しさです。

 この子はいつか、遠くへ行くでしょう。私の行った遠くより、もっと遠くへ。そのために私は、今日も正しい言葉を、この子に、注ぎつづけます。

 

 正しい言葉を遣ってね。それが、女というものの本懐よ。