第四帖 駒を前に出す習慣 ―― 眠る駒を、起こしてあげる
将棋をはじめたばかりのころは、つい、駒を動かすのがこわくなります。
せっかくきれいに並んだ駒たちを崩してしまうのが惜しくて、盤の手前に置いたまま、じっと見つめてしまう。その気持ち、とてもよくわかります。
けれど、駒は飾るためのものではありません。動いて、働いて、はじめて駒になります。今日おぼえたいのは、たったひとつの小さな習慣――「駒を、前に出してあげること」です。
盤のいちばん奥で、一度も動かないままの駒。それは、いてもいなくても同じ駒です。「遊び駒(あそびごま)」と呼ばれて、せっかくの力を持てあましています。
とりわけ、いちばん強い飛車と角、そして身軽な銀。この子たちを眠らせておくのは、もったいないこと。まずは「この駒、ちゃんと働いているかな?」と、ときどき盤を見わたす癖をつけてみてください。眠っている子がいたら、そっと起こしてあげましょう。
ここで、ひとつだけ約束を。
「前に出す」とは、歩を一列まるごと前へ押し出すことではありません。前の壁をぜんぶ手放してしまうと、守りの薄くなった陣地に、相手がするりと入りこんでしまいます。
ほんとうの「前に出す」は、強い駒のために道をひらいてあげること。たとえば、角の前の歩を一マス進めれば、角が斜めに出られる道がひらきます。飛車の前の歩を伸ばせば、飛車が前へ攻める支度がととのいます。
たった一枚の歩が、大きな駒に自由をあげる。あてもなく十歩すすめるより、一本の道をひらくほうが、ずっと価値があるのです。
勇気を出して前に出すとき、もうひとつだけ心に留めておきたいこと。それは、駒はひとりぼっちで出ていかない、ということです。
ぽつんと前へ進んだ駒は、相手にひょいと取られてしまいがち。出すなら、うしろから別の駒が支えてくれる場所へ。味方の利きが届くところへ。
誰かに見守られた一歩は、ずっと強く、ずっと安心です。前に出す勇気と、支えあう知恵は、いつも対になっています。
駒を前に出す習慣には、もうひとつ、対になる習慣があります。それは、王様のことを忘れないこと。
前へ前へと夢中になっているあいだに、自分の王様が、ぽつんと心細くなっていないでしょうか。攻める駒を送り出したら、金や銀をそっと王様のそばへ寄せて、守りもととのえてあげましょう。
前に出る勇気と、うしろを守るやさしさ。その両方がそろってはじめて、駒たちはのびのびと前へ進めるのです。
道をひらいて、支えあって、うしろを守りながら、駒を前へ。
はじめはぎこちなくても、ちっともかまいません。何局も指すうちに、「駒を働かせる」というこの感覚は、いつのまにかあなたの指先にやどります。眠っていた駒たちが、ひとつ、またひとつと目をさまし、盤の上で生き生きと動きはじめる――その瞬間の、なんと愛おしいことか。